Jason Leonard(ジェイソン・レナード)

はあーい、1億2千万人のスクラムファンのみんな!
こんばんみー!はい、古いっと。

今日は第二回の発表です。ですよ!ですよ!
はい。これも滑ってますね。

今回は、ラグビーの母国、イングランド代表、Jason Leonard(ジェイソン・レナード)選手です。

前回のブログで第一回大会はオールブラックスの大会だったと書きました!
南半球の実力を見せつけられた大会だったのですが、北半球も黙ってはいません。

というか、負け惜しみみたいな本も出てますね。

ワールド杯第一回の優勝国は俺たちだという本です。第一次世界大戦後に、開かれた大会が初めてのラグビーワールド杯であると。ほんとに負けず嫌いやねw。

因みに参加国は、Australia, Canada, New Zealand, South Africa, Britain and Franceでした。優勝はもちろんイングランド。


After the Final Whistle: The First Rugby World Cup and the First World War (English Edition)

で、この本に登場するのが、Jason Leonard(ジェイソン・レナード)。
イングランド代表として、四回ワールド杯に出場した選手ね。
「Ultimate prop」と言われるように、レジェンドと呼ぶにふさわしい選手だったわ。
がっしりとした身体で、1番でも3番でも器用に組んでいた。そのお陰でユーティリティとして控えにされた時期があったのに、100キャップを超えた数少ない選手だった。


Jason Leonard: The Autobiography (English Edition)

彼を最も有名にしたのが、やはりイングランドが優勝した  2003年大会。
控えで終盤を迎え、もはや出場はないのではと思われた試合終盤に、満を持して登場。セットピースで反則を取られまくっていたイングランドに安定をもたらし、勝利を導いたの。
伝説のドロップゴールも、彼がラックで壁に入ってるわ。


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あと彼が人気があった理由の一つに、非エリートであったこと。
カクニーと呼ばれる訛りの強い英語を話し、オックスフォードやケンブリッジに進学するパブリックスクールからでなく、地方から代表まで登りつめた選手だったの。(日本でいうと大野均さんみたいな感じかしら。)

彼もラグビーワールドカップ以前なら、トップで長く活躍することもなかったかも知れない選手ね。

はーい、また真面目になっちゃいましたが、彼の活躍によってイングランド、北半球のラグビーは面目が保たれたのでしたというお話でした!

次は誰かな?
ひょっとすると、これを読んでるあなたかも?(そんな訳はない!)